怒りを通り越して、あきれてしまうこと
光市の母子殺害事件差し戻し控訴審の公判の模様がニュースとして流れてきていますが、
その内容は「怒りを通り越して、あきれて」しまう内容です。
遺族の夫さんは、長年に渡る裁判に良く耐えて頑張っていると思います。
とても筆舌に耐えられないことを乗り越え、昇華させています。
私が仮に遺族だったら、とてもあんな冷静な対応なんて出来ないと思うし、生きる気力を失ってしまうのではないかと思います。
今回の事件についてあくまでも死刑廃止論を展開しているのは、被告の弁護師団だけではないでしょうか。
そのおかげで裁判が長引いているように思います。
被告が改心していないことは明らかです。
被告が友人に出した手紙では、無期懲役になれば「7年そこそこで一般社会に復帰して芽を出す」と書いていた。
また、退廷する際に被告が遺族の夫を、「鋭い目でにらみつけた。」とは本末転倒ではないでしょうか。
反省なんかしていない、良心のかけらもない。
犯罪を犯したのは揺るぎない事実なんです。
このような人物を再び野(一般社会)に放つ可能性は、絶対に封じなければなりません。
そのような人物が仮に身の回りにいるとしたら怖いし、再度、類する犯行の可能性が高い。
被告は再犯も・・・・と手紙で述べています。
更正する可能性は「極端に低い」と言い切っても良い。
被告のことばかり書きましたが、犯罪こそ起こさないが、今の一般大衆の中にも社会的に見て「常識を持たず、他人を傷つけて喜んでいる道徳観の壊れた者」が多く見られる世の中ではないでしょうか。
だれでも・・・・ましてや私の心の中にも悪魔の部分はあります。私なんか煩悩の固まりの人間ですから。
被告は、「ぼくは死刑になっても仕方ない。来世に行って先に遺族の夫さんの妻の夫になる可能性があるが、そうなると遺族の夫さんに大変申し訳ない」と
話しています。
輪廻転生を信じているのでしょうか。そうなると自分が今世においてとんでもない、業、因縁、カルマを背負い込んでしまったことが理解できているのでしょうか。
こういう場合、輪廻的には人間に生まれ変われないでしょうね。その前に地獄に堕ちるんでしょうけれど。
被告は語ります。「ドラえもんが何とかしてくれると思った」
もうコメントする気力も失せてしまいます。
怖いことは年月の経過であり、事件が風化してしまうことです。
遺族の夫さんの生き方を見ていると、いかなる場合でも逆風でも耐えて、清く正しき生きて行かなくてはならない。
人格が神の領域に近づいていくような、すさまじい清冽さを感じます。
葛藤はあるでしょう。感情の揺れはあるでしょう。バッシングもあります。
バッシングに・・・
あれは、死刑になる事件じゃない。あんなにテレビに出まくって。
犯罪被害者は、前向きに生きていかなくちゃいけないのに。あんなに若いのに恋愛もできない。
こんなことを言われたら腹が立ちますよね。自分がその立場におかれたらどうするの?
まだ事件の裁判は終わっていないんです。そういう意味では「けじめ」はついていない。
しかも恋愛ができないのがおかしいだなんて・・・操を通す方が・・・おかしいような表現をされている。
「けじめ」がつく日、それまでは自分の主張を通すためにマスメディアに出てもいいんです。
遺族の心情も考えずに「高所大所から」物事をあれこれ言う、立派な立場の人には失望しました。
比較するのはたいへん失礼なのですが、凡人の私は「日々色々あるけれど」、このままでは情けない、頑張らなきゃならないなと思います。
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